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歴史・文化から学べること~首相秘書官のLGBT発言を巡って(コラム#019)

LGBTを巡る首相側近の不適切発言が話題となったが、歴史を俯瞰すれば、人類は、長い年月をかけて徐々にではあるが、「〇〇であることをもって、人を差別しない」ということを実現してきており、現代社会もその途上にあるといる。人権概念が拡大してきた歴史や古今東西の社会文化について、人々が共通の理解を持っておくことは、LGBT について建設的な議論をしていく上で重要である。(ソーシャル・コモンズ代表 竹本治)

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ある首相秘書官(当時)がLGBT(注)について『見るのも嫌だ』となどと発言し、更迭されたことは記憶に新しい。報道を見る限り、この発言は、令和という時代にあって首相側近という立場の人が決して述べてはならない内容であったといえる。


(注)LGBT(Q+)の定義は多様であるが、とりあえず本稿では、①性的志向(恋愛感情等)が、同性(両性)に向いている場合(L:レズビアン、G:ゲイ、B:バイセクシュアル)、あるいは②性自認(「自分が男か女か」という意識)が、身体の性別と一致しない場合 (T:トランスジェンダー)とする。



 自分にとってなじみにないもの、異質と感じることについて、忌避する感情を持ったりするのは人情ではある。そして、そうした思いが差別に繋がってきたことも(残念なことではあるが)古今東西よくみられてきた。

 しかし、人は色々なことを学び、成長することもできる。例えば、同性愛は、古代ギリシャ時代の知識人の間ではもちろんのこと、日本の武家社会でも普通に見られていた。現代の日本では必ずしも全員がカミングアウトしていない可能性はあるが、電通ダイバーシティラボの『LGBTQ+調査2020』によれば、調査対象となった6万人のうち8.9%にあたる人はLGBT層に該当する。つまり、仮に自分自身がそうではなくても、身近な方や親しい仲間の中にLGBTの方がいるのは、むしろ当然なことであって、世界的にみればLGBT は「普通にある個性の一つ」だと考えられる。自分の友人の中にも、そうした個性を持つ方は何人もいる。



 また、歴史を俯瞰すれば、人類は「〇〇であることをもって、人を差別しない」ということを、長い時間をかけて、徐々にではあるが、実現してきている。昔は、となりの村の人でも、よそ者であったろうし、身分が違えば差別的な待遇が当たり前だった時代もあったが、人権概念が浸透してきていく中で、こうした相場観は変わってきている。現代社会もその途上にあり、将来はさらに変わっていくであろう。


 そして、人は自分が直接経験していないことでも、想像して理解することができる。例えば、仮に、身近な方が、日本人あるいは日本に生まれ育ったという(本人が変えられない)「個性」を持っているがために、外国で「見るだけでも嫌」などと差別されたとすれば、件の発言者でもそれは理不尽な扱いだと感じるであろう。そうした事例から類推する想像力があれば、他の差別的な取り扱いの適否について理解することは、さほど難しいことではない。


 国民への積極的な啓発はもちろんのこと、色々な権利義務がバランス良く取れるようにしていくことは重要である。そうした具体策については、これからしっかり議論していくべきであるが、LGBT について建設的な議論をしていく上では、人権概念が拡大してきた歴史や古今東西の文化について、共通の理解を持っておくことは重要だと思う。


 冒頭の不適切発言を受けて、LGBT の差別禁止等を盛り込んだ法案の提出に向けた議論が急速に進められている。当発言は、この検討を進めるための「高等戦術」であったと信じたい。


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