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富士山登山にみる、自己責任・事故責任~公的救助はタダではない(コラム#059)

一部自治体では、閉山期における遭難等に関する救助費用の有料化についての議論が行われているが、人命救助優先の原則と自己責任原則とでうまくバランスのとれた制度設計を行うことで、無謀な登山や安易な救助要請が少しでも減るようにしていくことが重要である。(ソーシャル・コモンズ代表 竹本治)


 先日、富士山の閉山期における遭難救助費用の有料化について議論が行われているとの報道があったが、これを機に、人命救助優先の原則と自己責任とのバランスのとり方について、考えてみたい。


 山岳遭難のニュースが流れるたびに、「あの救助費用は誰が払うのか」という疑問を抱くのは、おそらく筆者だけではないであろう。例えば、防災ヘリを1時間運用するだけでも数十万円のコストがかかるとのことである。しかし、日本では、警察や消防による公的救助は、原則として無料、すなわち救助された個人が直接費用請求されることはない。人名救助優先の観点からすれば、これは維持すべき法制度となる。



 しかし、しばしば報道されているように、事前準備もなく軽装備で、あるいは、閉山期間中等に、無茶な登山をして結果的に遭難救助を求める事例も少なからずみられている。こうしたケースの救助費用までが、登山とは無縁の一般市民の税金で賄われているのは、さすがに行き過ぎではないかと考える人は多いであろう。


 また、冬の富士山や北アルプスのような過酷な環境での救助活動は、救助隊員にとっても死と隣り合わせの任務となる。過去には救助中の事故で尊い隊員の命が失われた事例もある。個人の身勝手な冒険のために、いたずらに救助隊を危険にさらすことも適当ではない。



 他の自然環境を利用したレジャーでも同様の問題がありうる。例えば、遊泳禁止区域や悪天候の中、無断で泳ぎ、おぼれかけて救助をしてもらう場合には、費用負担はどう考えるべきか。あるいは、滑走禁止区域あるいは悪天候で滑走が禁止される状況の中で、無謀なスキーをして遭難した場合はどうか。


 このようにみていくと、「リスクの高いことが、常識的にみて分かっている行為をした挙句、結果的に救助を求める」ケースでも、本人に費用負担をまったく求めない、というのはさすがに不適当ではないか、という相場観がみえてくる。


 公的サービスを浪費する「モラルハザード」は、是正しなくてはならない。仮に、「いざというときには、救助されても費用請求されない」といった甘い認識があって、それがこうした無謀な行為を助長してきているのであれば、何らかの歯止めは必要となる。



 既に、そうした歯止めを設けている実例もみられている。


 例えば、埼玉県では、2018年から、防災ヘリによる救助に対して、手数料(5分ごとに8,000円)を徴収する制度を導入している。一方、本制度では、リスクと費用負担とのバランスをとるべく、業務等のためにどうしても必要があって指定区域に入ったケースや、不可抗力による被災等の場合については、手数料の減免も行っている。


 こうした手数料を導入しても、おそらくは、実費を十分にカバーできているわけではないであろう。それでも、本制度を導入してからは、同県内での遭難件数自体が大幅に減少している。すなわち、手数料を設けたことが、「安直な登山」に対する一定の抑止力になってきており、その分、真に必要なケースの救済に、限られた人的・物的資源を振り向けることが出来ている。



 富士山あるいは閉山期における遭難救助費用の有料化に限ったことではないが、今後の議論では、以下の二点を制度化していくことを検討すべきである。


 第一に、山岳保険の義務化である。まずは、登山計画書を提出する際、あるいは登山口でのチェックにおいて、保険加入の証明を必須とすることは有効であろう。最近では、一日単位で安価に加入できる保険も普及しているので、登山者にとっては大きな経済的負担にはならないはずである。


 スキューバ・ダイビング体験をする際には、施設側は受講者にいざというときの保険に加入させているのが一般的である。登山の場合には、そうした教室等を経由せずに入山するケースが大半と考えられることから、無保険者を捕捉する上では、相当の工夫は必要となるが、例えば、保険の啓発キャンペーンを併せ行うことも有効であろう。



 第二に、救助費用の有料化(実費請求)の全国的な拡大である。公的な救助活動を「最終救済手段であり、高額な対価を伴うもの」へと再定義し、それを国民に周知していけば、安易な救助要請や、準備不足の入山に対する強力な抑止力となるはずである。埼玉県のような優れた取組みについては、全国的に広げていくべきである。


 日本人が「大人」の登山者になるためには、自らの行動の結果を自らで引き受ける覚悟を持つこと、そしてそのためのバランスのとれた制度を社会全体で整えていくことが不可欠である。



 リスク・テイク、保険、自助・公助の適切なバランスが問われるのは、登山ばかりでない。色々な政策課題においても同じである。


 最近は、しばしば「自己責任」という言葉をよく聞く。なんでもこの言葉で片づけてしまい、不可抗力を含むあらゆる災難や困難について、本人が、すべからく経済的負担を負うべきとするのでは、かなり生きづらい社会となる。一方、ルールを無視した無謀な行動が引き起こした結果については、相応の責任を本人に求めるというのが、公平な落しどころであろう。

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