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誰の「手取り」を増やすのか~「年収の壁」への対処法(コラム#040)

「手取りを増やす」「年収の壁を打破する」といったキャッチフレーズは、とても分かりやすいものであった。しかし、その政策目的が、「持たざる人」を救うことであるのならば、「103万円の壁」を引き上げるのとは異なる政策対応をする方がはるかに望ましい。(ソーシャル・コモンズ代表・竹本治)

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 衆議院選挙後、「103万円の壁の見直し」が、俄然大きく取り上げられるようになっている。


 目下、話題や議論となっている主な点は、①「手取り」を増やすこと、②働き損になるような「年収の壁」をなくすことによって、パートやバイトで働く人の「働き控え」を解消すること、③(仮に、所得税の非課税枠を大幅に引き上げた場合に)財政が悪化することへの対応、といったところである。


 これらについては、首相の所信表明演説によれば、2025年度の税制改正に向けて議論されることにはなるが、現時点でいくつか気になる点を述べてみたい。



(1)何が「年収の壁」を作っているのか


 「年収の壁」が「所得が増えると、ある時点で手取りが減少してしまう現象」を指すのだとすると、「壁」をなくすために本当に見直すべきなのは、基礎控除の水準ではなくて、扶養控除から外れたり、社会保険料を払い始めたりする際の発生する、世帯全体の負担感の「急激な変化」である。


 例えば、社会保険料については、企業規模によるが、一定以上の所定内賃金(106万円ないし130万円)を得ると被用者保険が適用され、それまでは支払う必要がなかった厚生年金保険料が「急に発生」する(注)。また、税金関係の控除でも、16歳以上の子などが、バイト代などによって扶養控除の対象からはずれる(100万円)と、控除後の世帯の税負担面では、「急激な差」が出る。


(注)社会保険料の納付は、納入者自身の将来の厚生年金や、医療保険(傷病手当・出産手当もカバーされる)のためである。誰かに一方的に召し上げられるものではない。したがって、「手取り」だけで物事を評価するのは一面的ではある。

 



 一方、所得税自身は「年収の壁」を発生させない。給与所得が一定の水準(給与所得控除+基礎控除=103万円)以上になったときには、確かに所得税などがかかり始める。しかし、それは収入の少なかったときよりも手取りを「減らす」ものにはならない。収入が増えた分(+1万円)の一定の率(所得税率:5%)を税金(500円)として納め始めるだけである。


 なお、配偶者控除については、扶養対象となっている配偶者の所得水準(150万円~201万円)に応じて、徐々に金額が縮小する制度としていることから、これは「年収の壁」とまではいえない。


 こうした本質的な違いがあるにも拘わらず、有配偶者女性の給与所得分布をみると、本当の「年収の壁」以外のところでも働き控えが沢山起こっている。


 政府・税当局は、「103万円の壁」の見直しに着手する前に、「年収の壁」についてかなり誤解がある点は、国民に丁寧に説明していくことが望ましい。その上で、実際に「年収の壁」を引き起こしている制度については、速やかに見直していくべきである。




(2)「誰」の手取りを増やすのか


 「手取り」を増やすために、今後基礎控除等の水準を見直す議論がなされるようであるが、仮に基礎控除等の水準を一律に上げた場合には、所得の多い人も、「手取り」がしっかり増えることになる。また、所得の多い人ほどその金額は大きくなる。


 今回の政策(「手取りを増やす」)の本当の目的は、「持たざる人」を救うためのものであろう。そうであるのならば、違う手段をとることが望ましい。例えば、一番大変な層ーー税金をそもそも納めていない社会的弱者救済ーーに向けて、給付付税額控除などで、きめ細かに対応していくのが適当である。


 また、仮に基礎控除を増やすのであれば、高所得者の所得税率を引き上げて、全体としての税収への影響を最小化すべきである。日本の財政は、相対的に裕福な国民までを対象として、毎年数兆円の大盤振る舞いをするほどの余裕はない。今回の補正予算については、その半分は新規国債発行で賄っているという現実を直視すべきである。




(3)103万円を1.7倍にするのは適切か


 仮に「基礎控除+給与所得控除=103万円」の水準の引き上げを検討する場合にも、その引き上げ幅については、慎重に考えるべきである。


 たしかに、ここ20数年を振り返ると、最低賃金は1.7倍になった。しかし、その間の平均世帯所得の推移をみると、世帯類型(高齢者世帯、児童がいる世帯等々)にかかわらずほぼ横ばいのままである。また、インフレもほぼなかったので、ブラケット・クリープ(所得区分が変わって、急な増税となること)は殆ど起こっていないはずである。


 経済学的にみて根拠が乏しいのに、政治の力学だけで税制を大きく見直してしまうと、国の存立の基盤をゆるがすことになる。ここは各界の専門家を交えてきちんと議論を尽くすべきである。

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 「年収の壁」「手取りを増やす」というキャッチフレーズは、大変分かりやすいものであった。しかし、上記の通り、検討していく上での課題は多い。選挙のスローガンで、国民の期待値が上がってしまった感があるが、関係者におかれては、今一度何を目的とした政策なのか、という原点に立ち返って議論し、政策目的に合致した適切な手段を選択することを期待したい。

 

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