フリーランスになってみて思うこと (コラム#001)
- 竹本 治
- 2021年7月30日
- 読了時間: 3分
6月末に「フリーランス」の仲間入りをした。柔軟な働き方をすることについては、以前よりはフォローの風は吹いてはいるが、そうした働き方をしても「損をしない」ような社会環境を作っていくことは、とても大事なことだと思う。(ソーシャル・コモンズ代表・竹本治)
先月末(6月末)に、8年間勤めた神奈川県庁を退職した。在職中には、『人生100歳時代』とか、『働き方改革』というテーマで、調査分析や政策提言をしてきたが、そんな自分も7月からは個人事業主、所謂「フリーランス」の一員になった。まあ、クライアントがいなければ無職と同じであるが・・・。
モノの本によれば、令和は「フリーランス」の時代である。確かに、時間・場所・組織に縛られず、「より自由な働き方」をしていくことについては、以前よりもずっとフォローの風が吹いている。正社員が副業・兼業なども認められるようになってきている点等も含め、社会全体としてそうしたトレンドにあることは間違いない。
一人ひとりが自分の人生をもっと主体的に切り拓けるようにするためには、そしてひいては、日本全体が元気になっていくためには、労働市場がもっともっと流動的になって、適材適所が実現していくことが望ましい。そうした社会では、所謂フリーランスや専門職的な仕事の仕方は、より存在感を増していくであろう。
一方、自由で柔軟な働き方にはリスクが伴うものでもある。
そして、残念ながら、フリーランス的な働き方に対するセーフティネットが十分整備されないうちに、新型コロナの流行という未曽有の事態が発生してしまった。このため、労働者側も再び保守的になってしまったのかもしれない。コロナのパンデミック以前には、「フリーランスという生き方もいいかも」と漠然と思っていた多くの正社員は、「ああ、正社員をやめないでおいて良かった」と胸をなでおろしているのではないか。
しかし、こういった危機の時代を迎えたからこそ、個人の選択の自由、そして適材適所はますます重要となる。雇用の安定性確保と引き換えに、人々が「不自由で硬直的な働き方」を再び選択するようになってはいけない。社会全体として、なんとかリスクを減らしながら、「自由で柔軟な働き方」を粘り強く普及させていくことが望ましい。端的には、「広義のセーフティネット」を整備して「柔軟な働き方をしても、『損をしない』社会環境」を作っていくことが引き続き大事である(「柔軟な働き方をしても損をしない社会作り」については、拙稿(『論座』前編・後編)参照)。
まず短期的には、新型コロナ禍での「経済対策」としては、雇用確保や収入補填をする必要がある。そして、それと同時並行的に、こうした「社会変革の大きな流れ」を実現するための法的・制度的な環境整備を着実に進めていくべきであろう。自分もフリーランスの一員として、その大きな流れの中にいることを実感している。
竹本さん、中学時代の生徒会の仲間です。私は大学卒業時に血液透析を始めて、献腎移植を受け25年、今また透析してます。人生何が起きるかわかりませんね。医療機関でソーシャルワーカーしてます。自分の病気を不特定多数にopenに話すことは、なかなか難しい。竹本さんはすごいな。ブログ楽しみにしています