日本銀行の「機能(きのう)」「寄与」「明日(あした)」~25年間の政策対応の振り返りと、これから(コラム#042)
- 竹本 治

- 1月31日
- 読了時間: 8分
日本銀行はバブル経済崩壊以降の金融政策の効果や副作用などを検証した「多角的レビュー」を公表したが、ここ25年間の非伝統的な金融政策を振り返ると、経済に対してプラスの効果があったとは明確にいえなかったものであったし、今後の政策運営に対しても制約をもたらすものとなった。(ソーシャル・コモンズ代表 竹本治)

日本銀行は、昨年12月には、バブル経済崩壊以降の25年間の金融政策の効果や副作用などを検証した「多角的レビュー」を公表し、また、本年1月には、政策金利を0.5%に引き上げることを決めた。政策金利は、徐々にではあるが、今後も引き上げられていくことが予想されている。
「この25年間で何が起こったのか」「これからどうなるのか」について、包括的に語ることは筆者の力では到底できないが、いくつかコメントしたい。

1.ここ25年間の出来事(概要)
まずは、経済・物価・金融と金融政策の動きについて簡単に振り返ってみる。
所謂「バブル経済の崩壊」以降、日本では低成長・低インフレの時代がずっと続いてしまった。特に、20世紀末から10年程度は、金融機関の破綻などから金融システム不安も強く、また「デフレーション(継続的な物価下落)が経済活動を収縮させ、それがまた物価を下げる」という悪循環(「デフレ・スパイラル」)を引き起すのではないか、といった不安も高かった。
日銀は、バブル崩壊後、もうこれ以上下げられないところまで、目標とする政策金利(短期金利)を下げた。それでも経済は元気にならず、その後の25年間は、苦肉の策として、金利の上げ下げをする「伝統的な金融政策」とは方法や性格が異なる、「非伝統的な金融政策」をいろいろ講じてきた。
主な政策としては、以下の(1)~(4)がある。
(1)政策金利の目標をゼロ%にする「ゼロ金利政策」(1999-2000年)
(2)政策金利の目標自体はゼロにはしないが、金融機関が使いやすい短期の資金をたっぷり金融市場に供給する「量的緩和政策」(2001-2006年)
(3)ETFなどのリスクの高い資産の買入策も加えた「包括的な金融緩和政策」(2010-2013年)
(4-1)長期国債の大規模な買入を含む「量的・質的金融緩和(QQE)」(2013-2024年)
(4-2)政策金利の目標を若干マイナスにする「マイナス金利政策」を追加(2016-2024年)
(4-3)長期金利の引き下げも政策目標に加えた「YCC(イールド・カーブ・コミットメント)」を追加(2016-2024年)

上記のうち(4)の政策は、黒田総裁時代のものである。黒田総裁就任直後には、日銀は「物価上昇率の目標を2%とする」という旗を明確に掲げ、それを短期間(概ね2年間)で実現するために、「あらゆる策を講じる」し「戦力の逐次投入はしない」と約束して、大胆な非伝統的な金融政策を行った。しかし、結果的には、経済・物価はその目標通りには動かず、ずるずると10年に亘ってQQEを続けることになった。

2020年代に入ってからは、新型コロナ後の需給逼迫、ウクライナ戦争の勃発を経て、世界的にインフレ状態となる中で、日本も物価上昇が久しぶりにみられようになった。政府も、ガソリン価格等を抑えるための補助金を多額に出すなど「インフレ対策」に追われた。そして、労働人口減少がすすみ、人手不足も本格化する中で、賃金を引き上げる必要に迫られるなど、物価と賃金の双方で若干動きがみられはじめた。
そうした中で、2022年秋以降、日本銀行も徐々に(4-3)の縛りを緩め、植田総裁に代わった2024年春になってようやく、(4)の枠組み全体をやめて、「政策金利の目標を若干のプラスにする」という政策に転換した。

2.コメント
(1)日本経済は「デフレーション」(物価下落)からは脱却したのか
政府はずっと「デフレから脱却できていない」と言い続けてきたし、今も脱却したとは公式には宣言していない。
しかし、現実には、「デフレーション(継続的な物価下落)」は、ここ10年くらいは発生していない。それどころか、上述の通り、政府は今や大規模なインフレ対策をしている。国民も、「物価が下落している」なんて思っている人は誰もいない。
それにも拘わらず、政府は、経済成長率が低いこと、経済が元気ないことも全部ひっくるめて「まだデフレだ」と言い続けてきている。日本の成長率が低いという重要課題がまだ残っているのはその通りだとしても、低成長と物価下落(デフレーション)とは、きちんと区別していく必要がある。英語圏の人がみれば「Inflation なのにstill deflation」という奇妙な言葉遣いをしており、困りものである。
日銀は、政府の誤った用語の使い方に気を遣ってか、「物価が継続的に下落するという意味でのデフレではない状態になった」と、もの柔らかな言い方をしているが、デフレ退治は、デフレーションとは別途の問題として対応すべきであることを明確にすべきであろう。

(2)国民の物価上昇率についての「期待」は変えられたのか
黒田総裁あるいはアカデミアの一部の人は、国民の「期待」に強く働きかければ、物価の先行き予想が大きく代わり、それに伴って経済活動での具体的な行動が代わると信じていた。
しかし、日銀がごときが、物価上昇率を先々2%にするぞ!と「宣言」をしたところで、経済参加主体のマインドががらりと変わるわけではない。実際のところ、日銀がそんな物価目標を掲げたことは、大多数の国民は全く認知していないくらいなのだから、ますますそうである。最近になって、国民の物価についての見方が多少変わったのは、世界的な外部環境の変化(輸入インフレ)の影響であって、日銀の政策対応の寄与度は実質的にはない。
日銀は、最近になって、「物価・賃金が変わらないことについての強力な慣行(ノルム)があった。そのため、『期待への働きかけ』だけで、物価上昇率を目標まで上げることは出来なかった…」としている。黒田体制では、10年以上前に、目標とする「2%」程度の物価上昇率を「2年」程度で実現すると高々と宣言したはずである。過ちを改めざる、これを過ちという。敗戦の将は、それが壮大な見込み違いでしかなかったことについて、何年も前に、反省の弁を率直に述べるべきであっただろう。

(3)物価上昇率はこれからも「2%」を目指すべきなのか
日銀は、物価上昇率については(他の先進国並みの)「2%」を今後も「目標」にするとしているが、本当に大丈夫か。
日本は、石油ショックのときの狂乱物価の時代を除けば、総じて物価上昇率は低い国であった。そして、ここ数年は、政府は兆円単位のガソリン補助金等を投じて、物価を表面的に下げようとさえしている。国民にとっては、経済の成長力があがらない中で許容できるインフレ率は、2%よりもずっと低いのではないか。物価変動率の目標だけ、相対的に高い2%を維持していくことが本当に適当なのか、再考の余地があろう。
また、人々が安心して経済活動をしていく上では、「物価」だけでなく、「金融システム」や「金融市場」が安定していることも、大変重要である。中央銀行の仕事は、それらが程よいバランスになるように調整することのはずである。
「物価」についての特定の数字だけを目標とするような政策運営では、全体のバランスを失した対応になりかねない。現に、この10年の政策にはそういう側面があった。「物価の目標」という硬直的な旗は降ろして、白川総裁時代のように「物価の目途」といった幅のある概念で、物価とつきあっていってはどうか。

(4)「量的緩和」は意味があったのか
アカデミアの一部(所謂「リフレ派」)では、日銀など中央銀行が、短期の資金を市場に積極的に供給することで、金融緩和はいくらでもできるし、それは相当強力である(「日銀が、積極的な『量的』緩和さえすれば、それに比例する格好で経済活動は活発になって、問題はすべて解決する」)という言説があった。
日銀内では、そういった考え方には相当懐疑的にみていたし、市場にも副作用が大きく出ることもあって、白川総裁時代までは慎重な運営をしていた。こうしたことから、「日銀は、消極的でけしからん!」という批判にさらされ続けた。
一方、黒田総裁体制では、逆に、リフレ派でさえもびっくりするくらいの規模で量的緩和を行ったわけであるが、結果はみての通りである。
日銀は、今回「大規模な緩和は、導入当初に想定したほどの効果は発揮しなかった」「非伝統的な金融政策手段は、副作用をもたらしうる」と総括している。壮大な社会実験を10年もかけて実施したあげく、その程度の効果に留まるのならば、この政策は実態としては失敗であったということである。しかし、導入を声高に叫んだリフレ派の学者たちからも、反省の弁は筆者の知る限り聞かれない。日銀の審議委員のメンバーからもリフレ派は減っているが、おそらくはリフレ派はひっそり退場していくのであろう。
なお、このような極端な社会実験までして「量的緩和政策にはさして効果がない」ことを日銀が証明でもしないと、「日銀は緩和に消極的だ」という感情的な批判がやまなかったのは、極めて残念なことである。

(5)今後は、「伝統的な金融政策」に速やかに戻れるのか
さて、今後は目標とする政策金利はプラス圏内で推移していくことが予想されている。しかし、日銀が、昔のように「金融市場調節をしながら短期資金を増減させて、短期金利を目標とする水準にもっていくこと」は、技術的に難しくなっていると予想される。
例えば、日銀が多額の長期国債を保有しているので、少なくとも向こう数年は、国債市場はいびつなままになるし、ETFなどの日銀が保有してしまっているリスク資産も、不用意に売ると市場の需給に大きな影響を与えてしまいかねない。財政もこの10年の低金利政策でますます放漫度を強め、国債発行残高は積みあがったが、日銀が金利を引き上げていけば、予算の中で国債費の占める割合は相当大きなものになるが、それが金融・経済にもたらす影響を全く無視して金融政策を純粋なかたちで運営できるかどうかは分からない。

つまり、バブル以前にみられた「伝統的金融政策」のスタイルで、中央銀行が金融調節を出来るようになるまでには、かなりの年月が必要であり、その間は、かなり自由度の小さい政策運営をせざるを得ないとみられる。
社会実験の後始末は、これから長きにわたって続くのである。



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